2月15日のCOMITIA151に出展してから2週間ほどが経った。これはコミティアへの初出展で、私にとってかなり大きなイベントだったと思う。搬入規模とか売り上げではなく、私の同人活動における一つの区切りとして大きかった。
私が代表を務めているサークル「変幻美少女ぶっくす。」が今の名前になったのは、昨年末のことだ。もし前からこのサークルについて知っている人がいれば「変態美少女ふぃろそふぃ。」という名前がよく印象に残っているかもしれない。
ドメインやSNSのIDに残っている hentaigirls
は、このかつてのサークル名「変態」と「美少女」のアルファベット表現である。ドメインやIDは基本的には継続性を持つ必要があるし、発行済みの紙媒体やダウンロード済みのPDFに描かれたQRコードを修正して回ることはできないので、 hentaigirls
を hengengirls
に改めて回る予定はない。ただ、ある程度タイポグリセミアになるように注意したので、あまり支障はないだろう。
2014年から10年間にわたって宣伝してきたサークル名を変えることになったのは、いくつか理由がある。ごく実務上の理由では、初めてのコミティアに出るにあたってサークル名が与える印象の刺激を減らしたかったから。より抽象的には、停滞しつつあったサークル活動に新しいパワーを与えたかったから。コミティアに出るということ自体新しい活動の一環なので、大きくまとめればサークルの活動を新しいステージに進めるため、ということになる。
変幻美少女ぶっくす。は2024年夏から年2回ほど継続して同人誌即売会に出展を続けてきた。2023年上期の文学フリマ東京36を境に、今まで即売会への参加を取りやめてきたのは「さようなら、大きくなりすぎた文学フリマ」に書かれたとおりだ。ここから2023年上期と2024年上期に出展を取りやめたのは、2023年上期の判断を継続したせいだが、さらに2024年下期まで大きな活動がなかったのは、そこに不幸な出来事が続いたのが原因である。
2024年5月をもって変幻美少女ぶっくす。のメンバーは私一人になった。2014年の設立から一緒に活動を続けてきたかつての友人はもういない。私はメンバーではなく代表という肩書きだけど、いずれにせよ正式に所属しているのは私だけだ。
そもそも「変態美少女ふぃろそふぃ。」という名前は、2015年上期のコミックマーケット88に出るために用意したほとんどダミーサークルに近いものだ。「変態美少女哲学。」とか「変態美少女フィロソフィ。」とか表記に色々な候補があったことは覚えていて、しかし長く使う予定のものではなかった。会場無料配布限りのホチキス留めの胡乱なエッセイ集「日曜は美少女」は、前日の深夜にセブンイレブンのマルチコピー機で紙を使い切りながら印刷した粗末な冊子で、それでもエッチな同人誌の島にいち早く飛び込む言い訳には十分だった。
変幻美少女ぶっくす。がこれまで出展してきた同人誌即売会については、これまた「さようなら、大きくなりすぎた文学フリマ」が詳しい。このサクチケ駆動参加が続いていたのは2017年上期のコミックマーケット92までで、それからは文学フリマへの参加に移っていった。その文学フリマも規模が拡大していくうちに出る理由がなくなった、というのがあの記事の背景である。
名誉メンバーとなった早川一さんとは、ちゃんとした表紙が描けるようになったらコミティアに出ようねという話をしていた。コミティアが評論や文学といった文字主体のサークルも受け入れていることは知っていても、やはりオリジナルの漫画やイラストがメインという印象が強かったからだ。コミックマーケットの実態も似たようなもので、しかしコミティアはその意識をより明示しているという点で異なると思う。何度か出展を検討はしたことがあったが、やっぱりコミティアに出るのは怖いね、という結論は最後まで変わらなかった。
ここでいう「ちゃんとした」というのは、私がGIMPで写真を貼ったり単純な幾何学模様を描いて作るようなものではなく、もっと 善い だろう表紙であって、かなり抽象的で漠然としていた。光速感情デラックスなんてかなりいいデザインなのに、文学フリマに出続けている間はここが私たちの場所と考えて疑わなかった。
だから、今回こうして1年半の空白の後にCOMITIA151に出展できたのは大きな一歩だ。コミティアには見るものがたくさんあって、サクチケを手に入れる意味がある。思い出してみると、文学フリマはサークル参加での出会いが初めてで、一般参加者として参加するにはそれから8年後くらいのことだ。コミックマーケットもコミティアも、売れようが売れまいが楽しかった。文学フリマも、かつての大学の後輩や知り合いと顔を合わせるのは楽しかった。今考えるとそれだけのことだった気がする。