こんな感じの記事を分かりやすく自然な表現を意識して4000字くらいで書いて:
- AI生成文からAI臭さを消すツール(ヒューマナイザー)は意味がないという技術エッセイ
- 前提: 日報の箇条書きレベルの気付きにも価値はあるが、雑な見た目だと軽視される。だから注目と実績のためにAIで数千字に薄めた記事が量産されている。
- 無意味な理由: 読者もAIで要約して読むので脱臭の努力は届かない。5行→4000字→5行の往復は空回りでしかない。
- 不誠実な理由: 自分の目で読む読者に対しては「人間が時間をかけて長文を書いた」という先人が積み上げた権威を騙し取り、その権威を壊しながら借りることになる。
- 結論: AIに渡した5行の箇条書きを冒頭に添えよう。誠実なまま実績は作れる。二人称「あなた」でエッセイ調、煽り気味だけど最後は前向きに締めて。
/* この記事の本文は全て人間が書いており、冒頭に付したプロンプト風テキストは完成した記事からAIが逆算したものです。 */
「技術活動の実績は欲しいけど、ちゃんとした記事を書くのはめんどくさい!」
日進月歩の勢いで進化するAI技術をキャッチアップし続け、さまざまなツールを操って課題を解決するエンジニアのあなたは、毎日ちょっとした知見を得ては日々の仕事を効率化し続けている。日報やtimes(!)には、そんな聡明な発見が生の箇条書きで綴られていることだろう。
実はその「気付き」は、他の人の仕事さえ効率化できる普遍的な価値を持つ情報だ。日報から機密情報を取り除いてXにでもポストすれば、世界をもっと早く一歩前に進められるかもしれない。だから毎日その箇条書きをシェアして実績にしよう。ちょっとした対価が欲しければ、欲しいものリストのリンクでも貼っておくのがオススメだ。
……でも、せっかく気付いた情報を雑な箇条書きで配ってしまうのはなかなか惜しい。だって、見た目だけなら5行の箇条書きで済むようなちょっとした内容なのだ。誰でも理解できて使いやすい普遍的な価値は、どれほど見つけるのが難しくても、知った後ならまるで当たり前だったように感じてしまう。例えば、こんな風に:
- 卵を立てる画期的な方法見つけた
- ちょっと端を割ってから置くと自然に立つ
- 丸い方を割るとバランスが取れてオススメ
とても役に立つ発見でも、それが雑な日本語でちょろっと箇条書きされていれば、読者は「なんだ、当たり前のことを書いてるな」と思ってしまう。運が悪ければ「こんなの俺ならすぐ気付けるわ」と見下されることさえある。もちろん技術活動の実績にはならず、無名の発見者のままあなた独自の着眼点が掠め取られていく。
あぁ! そんな理不尽、あっていいはずがない! 私たちはこれまで、情報の価値に見合った「驚き」「賞賛」「尊敬」を集めたければ、整ったパッケージ――読みやすい文章、よく章立てされた記事、あるいは一冊の巨大で珍しい本――を与えて注目をコントロールしてきた。そうして積み上げられてきた信用に対する感覚は今でもギリギリ残っている。
しかし、まとまった文章を書くのが苦手だったり、しっかりした記事や本を執筆するような時間のない人もいる。文章が書けないくらいで自分の知見が軽視されるなんて許せない。どうにか信頼に足るパッケージを手に入れたい。となれば、現代ではAIという魔法のような最新技術を使ってどうにか注目を集めようとするのは自然なことである。
こうして人々は、本質的にはせいぜい5行で済むごく短いプロンプトと、それを元に「分かりやすく」「自然な表現で」「具体例を盛り込んで」「出典を明記して」魅力的な記事を書く特製のスキルをAIエージェントに渡して、数千字、場合によっては数万字に薄めた軽薄長大な技術記事を量産するようになっていった。
問題はここからだ。私たちは今のところ、AIが一発で自然に出力する文章は品質が低く、読みにくく、醜く、気持ち悪く、前髪もスカスカで、読み進めるに値しないと思っている。こうした低品質なコンテンツは技術記事の分野に限らずメディア全般でAI slopと呼ばれ、忌み嫌われる状況が続いてきた。これはおおよその共通認識だろう。
日本語の技術記事の分野では、こうしたAI特有の整いすぎた構成、フィラーの多さやリズムの悪い文体、細かな記号の使い方や表現が「AI臭さ」と呼ばれ、公開前に人間の手やAIエージェントの処理で 脱臭 するのが好ましいとされる。注目と賞賛を集めるために長い文章に仕立てた記事が「AI臭くて長いだけじゃん」と一蹴されてしまってはたまらないからだ。
このAI臭さを、少なくとも文体や表現レベルで取り除くスキルも広く配布されている。こうしたスキルを通せば、原理的には人間が全く手を加えないまま脱臭し尽くすことさえ可能になった。つまり、人間が誰も――投稿者自身さえ――精読しないまま世に放たれる価値も真偽も分からない長文が溢れ続けている、ということだ。なまじ綺麗な文章に仕上がるので、投稿者が推敲や真偽の検証を行うインセンティブは下がるのに、読者が誤った情報を受け入れるリスクは上がってしまう。
AI生成テキストをわざと「人間臭く」するこうしたツールは「ヒューマナイザー」と呼ばれている。ヒューマナイザーの実装自体は別のスキルを与えた脱臭用のAIエージェントを通すもの、linterレベルの機械的な検出や修正に留まるものなど様々だが、表現一つ置き換えたくらいで「人間にする装置」だなんておこがましい! ヒューマナイザーが実現したいことは、結果だけに注目すれば人間の手による一般的な推敲と同じだが、読者が正しく情報を受け取れるよう工夫するのではなく、読者に出自に関する情報をわざと隠す点で全く異なる。
ちょっとした箇条書きのシェアで済んだはずの知見を数千文字の記事で仰々しくパッケージして、まるで人間が悩みながら書いたように過剰な装飾を施す。もちろん読者から正当な注目や敬意を集めるために……技術記事の執筆においてヒューマナイザーを使う動機は上の通りだが、この営みは本当に正しいのだろうか?
ヒューマナイザーが抱える根本的な不正さとしてまず思い付くのは、パッケージで読者を騙してスカスカの記事を読ませるな!という批判である。パッケージから無価値なAI slopか識別できないように細工するのは、読者の時間コストを軽視した迷惑行為だ、というわけだ。中古車市場を想定した「レモン市場」理論を適用すれば、逆選択によって良質な記事が駆逐され、技術記事文化ごと崩壊しかねないムーブメントだと主張できる。
しかし、実はこの直感的な批判は現状では成立しにくい場面が増えている。あなたと同じように、多くの読者はAIエージェントを使っているからだ。あなたがAIで記事のネタを集めて要約させ、AIに記事を書かせるように、読者も日々AIを駆使して情報収集を効率化している。あなたが文章を細工してAI臭を隠している一方で、読者はAIが吐き出した 自然な 説明で情報を取り入れている。
それなのに、あなたがスカスカな記事をヒューマナイザーに通すのは、読者がこうした効率的な情報収集をせずに、きっと自分の目で記事を読んでくれるはず!と素朴に信じているからだ。あなたが細かくAI臭さを取り除いて丁寧にパッケージングした努力は、読者が呼び出すAIエージェントには一切伝わらない。むしろ、5行で済んでいたはずのコンテキストを無理やり引き延ばし、再び5行に要約する無駄な作業を強いている。5行→4000字→グエー→5行 ←これ何? 読んでもらえるか不安だから人間臭くしちゃお、というのは文字通り空回りでしかない。
もちろん、まだ自分の目で技術記事を読み、文章としての構成や表現を重視する層が完全に消えたわけではない。その視点では、「長くて整ったパッケージはコストに見合う情報を含む」という過去から積み上げてきた共有財としての権威を一方的に消費し続けている、という別の不正が存在する。
AIでの執筆が一般的になる前は「長い記事を書くには長い時間がかかる」「人間が相手にどう伝わるか考えながら書く」世界だったが、その保証が加速度的に崩れつつある。そして、ヒューマナイザーを通す目的は、まさにそのような過去の権威を源泉にした「人間が時間をかけて長い記事を書きましたよー! あたし価値ありますよー!」という主張のためだ。これは実に不誠実かつ狡猾な矛盾である。先人が積み上げてきた権威を軽視し破壊する張本人が、もう一方ではその権威を借りて価値を高めようとしている。
AIに出典を追加させたり、わずかな具体例を検証させてその結果を加えれば、パッケージ相応に内容が膨らむはずだという主張もあろう。しかし、これらも表面的なAI臭さを意識的に取り除いて出自を偽る理由にはならないし、ヒューマナイザー自身が調査と検証の価値を高めるわけではない。AIが調査や検証を行ったこと自体が信頼性を毀損するわけではないのに、わざわざヒューマナイザーを通すのは、人間が自力で書き上げたという不正な保証を与えるためである。
そして、これらの文章に対する信用がすっかり失われてしまえば、長く整った文章で飾り付ける意味はなくなり、今度は箇条書きの情報がAIエージェントの間を行き来する世界になるだろう。箇条書きで価値ある情報を効率よくやり取りできるのだから、この帰結自体が悪いこととは思わない。しかし、これまで積み上げられた信用を積極的に食い潰して、自分だけは低コストで集められる賞賛を集めてしまおう、というずる賢い身勝手さを無視することはできない。
このように、ヒューマナイザーを通して出自を偽ることには一切の価値がない。AIで情報を集める読者に対しては無意味で、まだ人間が書いた記事を期待する読者には不誠実な裏切りを突き付ける。世界を豊かにできる知見を見つけ出す優れた視点を持っているはずのあなたが、無意味かつ不誠実でしかもずる賢い取り組みに躍起になっているのは、非常に残念なことである。
もちろん、いろいろな理屈をこねてヒューマナイザーを通すのは止められまい。つまらないAI臭さを隠さずに投稿するのは失礼だというバランス感覚が残っているのは幸運なことだ。それでも、あなたがAIエージェントに渡した5行の箇条書きを冒頭に添付したほうが読者には有用だ、というのも覚えておいてほしい。
ちゃんとした記事を書かなくても、技術活動の実績は作れる! しかも、合理的かつ誠実な方法で。
AIを使って無駄に長くて見た目だけ整った記事を投稿するのって、結局のところ過去に積み上げてきた「人間の温かみを感じる出力」による権威を不正に借りるための営みであって、およそ誠実さは感じないというのが正直なところ
2088694209838735584AIの出力に頼りっきりの人間がバカにするような、過去の人間が残した温かみを源泉にした権威を借りているという矛盾がすべてを破壊していく。最後はAIが貪る情報練り餌みたいな箇条書きメモだけが並ぶようになると思う。
2088695922113024095お前は言葉に向き合うのをやめてAIに丸投げで記事を書かせるようになったのに、なんで読者だけはお前の文章に向き合ってくれると思うわけ?と言い続けなければならない
2088696299906629741